荒雄神社(宮城県古川市)

探訪記録

【参拝日】
令和4年1月30日

【御朱印】
なし

※神職さんに聞くと現在はしていないとの事
しかしながら、他の投稿には令和元年~4年度までの拝受記録をお見受けしたので、忙しい時間帯でなければ行って頂けるかも知れません。

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詳細

【名称】
荒雄神社(あらおじんじゃ)

【社格】

【創建】
1928年(昭和3年)

【住所】
宮城県大崎市古川福沼字要害1

≪参拝時間≫
境内の参拝は24時間可能

≪御祈願時間≫
10:00~16:00
※予約は基本不要とのこと。

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ご祭神

菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

楠木正成公(くすのきまさしげこう)

和気清麻呂公(わけのきよまろこう)

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神社について

宮城県大崎市に鎮座する荒雄神社

社殿の竣工は1928年(昭和3年)9月であり、昭和天皇御即位の記念事業として建立された神社になります。

建立にあたっては、荒雄村の資産家である青沼彦治(あおぬまひこじ)が私財を投じ、社殿は名古屋市熱田からの皇室御用林である檜材(ひのきざい)をもって作られました。

青沼彦治は、宮城県内でも有数の醸造業を営んでおり、素封家(そほうか)として地域への貢献が高く評価され、地元市民の発案によって銅像が建立された人物でもあります。

荒雄公園内に建立されているので、参拝と一緒に吉野作蔵記念館や青沼彦治翁顕彰碑もご覧になられるのもおすすめです。

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境内

【東北新幹線高架と荒雄神社】

古川駅より徒歩で15分の道のりになりますが、冬や雨の時期はタクシーの利用が便利です。

タクシー停留所のメインは古川駅西口になり、荒雄神社側の東口とは逆方向になりますが、時より東口に待機するタクシーもある為、見掛けた場合ご利用をお勧めします。

【実測距離】
古川駅西口→荒雄神社 徒歩15分(1.2㎞)

【立て看板】

ご祈祷は随時受付とありましたが、お電話にて一度ご予約をした後に参拝されるのが宜しいかと思います。

【荒雄神社:祭礼日】
例祭:4月25日

【本殿】

本殿建築は入母屋造(いりもやづく)りとなっており、屋根の緑青が勇壮な佇まいを醸し出しています。

【本殿建築の種類】
1.切妻造(きりつまづくり)
…屋根が本を開いて伏せたような形の建物

2.寄棟造(よせむねづくり)
…屋根が2つの台形と2つの二等辺三角形を交互に組み合わせた形の建物

3.入母屋造(いりもやづくり)
…寄棟造の上に切妻造を載せたような屋根を持つ建物

【拝殿】

拝殿は八棟造(やつむねづくり)と建築様式となっており、これは本殿と拝殿を石敷の間として、そこに両下りの廂(ひさし)屋根を設けた神社建築になります。

日光東照宮の原型になった建築様式とされ、平安時代創建(947年)の北野神社(現:北野天満宮)の頃には成立していたとされます。

【鳥居】

代表的な明神鳥居(みょうじんとりい)

最上部にある黒色の笠木(かさぎ)とその下に重ねられた赤色の島木(しまぎ)の両端が反っている特徴を持つ鳥居になります。

鳥居の起源は分かっていないのが事実ですが、一説にアマテラスの天岩屋(あまのいわや)神話に登場する常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)の止まり木であったともいわれますが、神話にそのような記述はありません。

【鳥居の起源】
・古くからあったとされる(奈良時代)。
・一説に常世の長鳴鳥の止まり木であったとされるも神話に記述がない。

【石柱/村社 荒雄神社】

石標にある「村社(そんしゃ)」は、近代社格制度の1つになります。

明治時代にあたる1871年(明治4年)5月に政府より太政官布告(だじょうかんふこく)で神社規則等を制定し、官社以外を諸社と規定しました。

同年7月に廃藩置県によって改めて制定を行い、一地方の氏神とされる神社を村社としました。

【太政官布告による近代社格制度】
1871(明治4年)/05 「諸社」‐府社、藩社、県社、郷社
1871(明治4年)/07 「諸社」‐府県社、郷社、村社、無格社

【沿革】

特に興味深い欄は左側に記載されている「神社創建の記録」になります。

ここには私財を投じて建立に尽力した青沼彦治翁と共に、嫡男である吉治氏の名をもって献金出願を行い、村会議によって荒雄神社が造営された旨が書かれています。

また、御祭神は青沼彦治翁と吉治夫婦を伴って京都の各神社に懇願し、御分霊が叶った事が書いてあります。

【神使/牛】

神使は、古くは日本書紀に記述がみられ荒ぶる神の使いとしてヘビが登場します。

神意を伝えたり、吉凶を示す神の使いとして鳥獣に限らず虫や魚などがいます。

荒雄神社の御祭神である菅原道真公(すがわらのみちざねこう)に因んだ牛の神使になります。

【境内】

奥に見えるのが境内社の「見渡神社(みわたりじんじゃ)」

その手前の切妻造りの建物が手水舎

手前の煤黒くなっている場所はどんと祭で使用される焼き場のようです。

 

【境内社/見渡神社】

 

【手水舎】

手水舎(てみずしゃ)は、イザナギノミコトが黄泉の国から帰ってきた時に身に着けている物をすべて脱ぎ、水に浸かって禊祓(みそぎはらえ)をした事から禊の起源となりました。

古い神社の多くは清流の近くにあり、参拝する人が川に浸かり禊をしてからお参りをしたと伝えられています。

川や海での禊がいつごろ手水舎をつかったものに変わったのかは定かではありませんが、鎌倉時代以降に社寺で普及していったようです。

【手水の取り方】
1.右手で柄杓を取り、水を汲んで左手にかける。
2.柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清める。
3.再び柄杓を右手に持ち替え、左手に水を受けて口をすすぐ。
4.その後、左手をすすぎ、柄杓の柄ごと水をすすぐ。

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参照・引用

宮城県神社庁「荒雄神社」

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