【塩竈神社境外末社】御釜神社・曲木神社(宮城県塩釜市)

境外末社:御釜神社(おかまじんじゃ)

【参拝日】
平成30年2月2日/掲載写真
令和4年1月30日/御朱印

【御朱印】
鹽竈神社授与所にて拝受

【社格】
鹽竃神社境外末社

【創建】
不詳

【住所】
宮城県塩竈市本町6-1

御釜神社について

宮城県塩竃市本町に鎮座する御釜神社(おかまじんじゃ)

塩竈神社の境外末社であり、塩釜市の地名の由来となった竈(かま)が安置される神社になります。

鳥居をくぐった左手側に鹽土老翁神(しおつちのおじのかみ)が製塩技術を伝えた時に使用されたとされる釜が4口安置しており、江戸時代には釜の水の色が変化すると異変が起こる前触れとして恐れられていました。

塩竈神社へお供えする神饌(しんせん)の1つである藻塩ですが、これは海藻のホンダワラを用いて濃い塩水を作り、そこからさらに煮詰めて塩を作ります。

この藻塩は御釜神社の藻塩焼神事(もしおやきしんじ)によって作られ、他の神社では類例が殆どない事から特殊神事(とくしゅしんじ)として現在も斎行されています。

探訪記録

【石柱と鳥居】
御祭神は鹽竈神社と同じ塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)をお祀りしており、御釜神社周辺は古来より甫出の浜(ほでのはま)と呼ばれ、日本で初めて塩を作った場所として伝わっています。

【社殿】

祀られている塩土老翁神は、山幸彦が兄の海幸彦から借りた釣り針を無くして困っている時に、海神(わだつみ)の宮へ行く道を教えたとされる神になります。

また、神武天皇が日向(ひゅうが)にいた時に東方に美しい国がある事を教えた神でもあります。

【四口の神釜】
前後に2つ、合計4つの釜は、1つが鎌倉時代(1185~1333)に造られた物で、残りの3つは南北朝時代(1337~1392)に作られた物とされます。

奥鹽地名集(おうえんちめいしゅう)によれば釜はかつて7口あり、盗賊によって盗まれたとされます。

100円を納めると実際に拝観する事ができますが、御神体のため撮影はご遠慮下さいとのことでした。

【盗まれた御釜三口の行方】
・釜ヶ淵(かまがふち)/現・新浜町の東北区水産研究所の先にある淵
・野田の釜田(かまた)/現・塩竈陸橋下あたり
・黒川郡志戸田村の塩竈殿(しおがまでん)/現・富谷町志戸田の行神社(ゆきじんじゃ)

【鳥居とお宮】
左手側にある神釜(しんかま)を安置する建物ですが屋根がありません。

ここに湛えられる水は溢れる事も枯れる事がなく、江戸時代には御釜(おかま)に湛えられる水の色が変わったら世に事変ある前触れとされていました。

【御釜神社の史跡と伝説】
御釜神社で行われる祭祀で有名なものが藻塩焼神事(もしおやきしんじ)です。

初日の7月4日に七ヶ浜町で海藻のホンダワラを刈り取ります。翌5日に満潮時の釜ヶ淵にて海水を汲み、木の樽に入れて御釜神社まで担いで運び、御釜に注ぎ入れます。
最終日の6日には釜に鉄釜をのせて、竹柵の上にホンダワラを広げて、海水を煮詰め、荒塩を作ります。

【藻塩焼神事】
毎年7月4日 藻刈神事(もかりしんじ)
7月5日   水替神事(みずかえしんじ)
7月6日   藻塩焼神事(もしおやきしんじ)

境外末社:曲木神社(まがきじんじゃ)

【参拝日】
令和4年1月30日

【御朱印】
なし

【社格】
鹽竃神社境外末社

【創建】
不詳

【住所】
宮城県塩竈市新浜町1丁目10

曲木神社について

宮城県塩竃市新浜町に鎮座する曲木神社(まがきじんじゃ)

塩竈神社の境外末社であり、社殿がある籬が島(まがきがしま)は昔から和歌の名所として知られ、古今和歌集や続後拾遺集(しょくごしゅういわかしゅう)などにも記載がみられます。

御祭神は曲木大神(まがきおおかみ)で一説には、鹽竈大神(しおがまのおおかみ)とされます。

探訪記録

【全景】
籬が島(まがきがしま)の名称についての由来はいつくかの説があります。

一般的に言われているものですと、大昔にこの島を覆うように松の老木があり、それは1本の木でありながら3つに曲がりくねっており、形から3つの島に見えた事から曲木というようになったそうです。

【籬が島の由来】

・この島の曲がった木ばかりで作った社があり、後の文人が都風に籬(まがき)の字を当てた

・鹽竈様がこの島を訪れた時に住んでいる住人が穴居(けっきょ)生活で不潔だったので、家を建てるすべを教えた。人々は曲木を組み合わせて住み、曲木神の称号を授けたので曲木島となった。

【入口】
通常は橋の扉が閉じている為、島から参拝をする事は出来ませんが神事の関係で以下の日時で扉が開放されます。

【参道開放日】
1月6日/月次祭           午前11時~
2月~12月のそれぞれ1日/月次祭  午前11時~

7月31日/前夜祭         午後3時~
8月1日/曲木神社例大祭       午後1時~
※毎月1日と土曜日曜祝日は、10時~16時まで開放されます。

【奥の細道】
1689年(元禄2年)5月8日に松尾芭蕉は塩釜に泊まったとされ、翌日に鹽竈神社を参拝した後に舟で籬島(まがきしま)の景観を眺めて松島に向かったとされます。

五月雨(さみだれ)の空いささか晴れて、夕月(ゆふづく)夜(よ)かすかに籬が島もほど近し
~奥の細道 松尾芭蕉~

【曲木神社由来】
文献によれば鹽竈神社には14の境外末社があるとされますが、文献によって異なり、今だに定まっていない社もあるようです。

【別当法蓮寺記/十四末社】
1.青木神明(宮城郡塩竈村内白坂)
2.奏社明神(宮城郡市川村)
3.浮島明神(宮城郡浮島村)
4.冠川明神(宮城郡岩切村)
5.南宮明神(宮城郡南宮村)
6.小刀明神(宮城郡澤音村)
7.梅宮明神(宮城郡塩竈村内吉津)
8.柏木明神(宮城郡笠神村)
9.東宮明神(宮城郡東宮濱)
10.曲木明神(宮城郡籬島)
11.桂島明神(宮城郡桂島)
12.鼻節明神(宮城郡花淵濱)
13.赤沼明神(宮城郡塩竈村内白坂)
14.荒脛巾明神(宮城郡市川村)

【社殿】
志波彦神社・塩竈神社の後に参拝する場合、JR仙石線にて本塩釜駅から東塩釜駅へ向かうアクセスが便利です。

御釜神社から曲木神社まで徒歩で行く場合は約30分となりますが、御釜神社や曲木神社からはそれぞれの駅まで徒歩7分、乗車時間が3分を入れても20分程で到着します。

また本数も10分置きに発車するほど流動が良い事から徒歩の方は電車をお勧めします。

【志波彦神社・塩竈神社からのアクセス】
徒歩の場合:約30分
電車の場合:約20分

【境内:祠】
曲木神社は以前、鹽竈神社の神宮寺である法蓮寺(ほうれんじ)に属しており、塩竈神社の十四末社の1つと数えられていました。

神宮寺とは…
神仏習合思想に基づき、神社に付属して建てられた仏教寺院や仏堂。

【海側の鳥居】
橋が設けられている側の鳥居とは反対側に建てられている鳥居になります。

曲木島については、古今集・東歌(あずまうた)に夫を送り出す妻の気持ちを詠った和歌が記載されています。

背子は女性からみた親しい男性を指す言葉である事から、都に夫を送り出してじっと待って恋しさが募る様子を、まがきの島の松のようと自身を重ねた歌になります。

我が背子を 都にやりて 塩竈の まがきの島の 松ぞ恋しき
(読み:わがせこを みやこにやりて しおがまの まがきのしまの まつぞこいしき)
~東歌~

【祠と石板】
社殿の裏側に祀られている祠(ほこら)になります。

祠は神道用語の神倉(ほくら)の転訛とされ、小祠(しょうし)や小堂(しょうどう)とも呼ばれます。

古神道に由来する信仰であり、神仏習合によって道祖神に関連した仏も祀る場合もあります。

一般的に神社の簡略化で人が立ち入る事が難しい場所や個人の所有する土地に設けられることが多く、神職は常駐しないとされます。

【曲木神社:社殿】
片方に屋根が長く伸びている流造(ながれづくり)の社殿となっていました。

流造は、神社建築の中で一番多い本殿形式とされ、神明造を発展させた形式とされ、他の様式と比べて比較的歴史が浅いという特徴があります。

【流造の著名な神社】
宇治神社…最古の流造とされる。

【引用・参照】
曲木神社の御由緒|神社について|鹽竈神社
32 籬が島 | 政宗が育んだ“伊達”な文化

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