探訪記録
【参拝日】
平成30年1月13日
【御朱印】あり
詳細
【名称】
尾張猿田彦神社(おわりさるたひこじんじゃ)
【社格】
—
【創建】
1985年(昭和60年)
【住所】
愛知県一宮市奥町字風田67-1
8:30-16:30
9:00-16:00
ご祭神
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
【相殿神(あいどのしん)】
天宇受賣大神(あめのうずめのおおかみ)
末広稲荷大神(すえひろいなりのおおかみ)
塩竈大神(しおがまのおおかみ)
独尊大神(どくそんのおおかみ)/稚産霊神(わくむすびのかみ)
神社について
愛知県一宮市奥町(おくちょう)に鎮座する尾張猿田彦神社(おわりさるたひこじんじゃ)
伊勢湾に注ぐ木曽川から堤防を挟んだ場所に位置する本殿と木曽川左岸の河川敷に位置する奥宮があります。
元々奥宮は1608年(慶長14年)に建立され、千勝神社(ちかつじんじゃ)と宇受売神社(うずめじんじゃ)の2社から成り、木曽川堤防の拡幅工事に伴い地元住民の参拝所として1985年(昭和60年)頃に尾張猿田彦神社が建立されました。
神社本庁には所属しない単立神社で独自の神主養成講座や階位授与を行っている珍しい神社となっており、巫女教室や雅楽、祭祀などの研修会を一般の方にも広く普及活動を行っています。
境内
【石柱と鳥居】
猿田彦(さるたひこ)は、古事記及び日本書紀(第一の一書)の天孫降臨の段に登場する神であり、アマテラスオオミカミに遣わされたニニギノミコトを道案内した神様として有名です。
【御本殿】
通常、神社では拝殿と呼ばれる参拝者が祈念する建物を介して本殿が建設されますがこちらは珍しく建物自体が御本殿となっており、中に入ってお参りする事が出来ます。
【石柱と鳥居/令和3年撮影】
七五三詣でを行っておりました。通常11月15日が七五三とされますが、10月中旬から11月頭にかけて参拝する方が多くみえます。
昔は3歳と7歳は女の子、3歳と5歳は男の子とそれぞれの節目で子供の成長を祝う年中行事でした。
しかし、現在は3歳・5歳・7歳と男女関係なく七五三詣でを行う家庭が多くなってきています。
奥宮(おくみや)
尾張猿田彦神社には、奥宮と呼ばれるもう1つの神社が木曽川左岸の河川敷内に鎮座しています。
探訪記録
令和4年1月23日
御朱印:あり(尾張猿田彦神社の社務所にて拝受)
詳細
【名称】
尾張猿田彦神社・奥宮(おわりさるたひこじんじゃ・おくみや)
【社格】
—
【創建】
1608年(慶長13年頃)
【住所】愛知県一宮市奥町堤下一42-1
24時間参拝可能
奥宮について
鎮座している大巻山(おおまきやま)は、伊勢神宮の神領地(しんりょうち)として遷宮で使用される御用材の筏を停泊する場所でした。
伊勢神宮では20年に一度行われる遷宮の為に、御用材を頂く山を御杣山(みそまやま)として定め、切り出した御用材を木曽川から伊勢湾へ舟航(しゅうこう)で運搬します。
木曽川から海へ向かう前に御用材を改めて筏に結び直す必要があり、その場所がこの奥宮となっていました。
千勝神社(ちかつじんじゃ)と宇受売神社(うずめじんじゃ)の2社をお移しして出来たのが現在の尾張猿田彦神社となり、かつての神社は奥宮として鎮座しております。
境内
【鳥居】キャンプ場となっている奥町木曽川緑地駐車場より歩いて数分で到着します。
猿尾(さろう)と呼ばれる本堤から河川に向かって設けられた小高い堤防の中ほどに鎮座しています。
【縁起について】
猿尾(さろう)は江戸時代から明治時代に木曽山川(木曽川・長良川・揖斐川)で多く築かれた堤防になり、洪水の水流を受け止める事で勢いを落とし、本堤(ほんてい)を守る役割を果たします。
猿尾とはその形が猿の尻から伸びた尾に見える事から名づけられたとされます。
【宇受売神社(うずめじんじゃ)・千勝神社(ちかつじんじゃ)】左側の宇受売神社に祀られる天宇受売命(あめのうずめのみこと)は芸能の神と呼ばれ、巫女として神楽職を司った猿女君(さるめのきみ)の祖として有名です。
右側の千勝神社に祀られる猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)は、天孫降臨神話にて天孫一行を案内した伊勢の地主神として有名な神様です。
【標・伊勢神宮遥拝所】奥宮が鎮座する大巻山(おおまきやま)は、旧渡船場(きゅうとせんば)の南側に位置しており、宿として近くの若宮神明社が対応していたとされます。
【神宮第三の鳥居】昭和28年(1953年)、第59回式年遷宮の際に西奥町の氏神に神宮第三の鳥居が授けられ、奥宮の鎮座地に神宮遥拝所鳥居として南向きに建立されました。
【大巻山から望む山々】以前の木曽川は現在の姿とは全く変わっており、度々氾濫を起こす入り組んで切れ所が随所にある河川でした。
大洪水の度に甚大な被害が繰り返される為、奥町の来たと南にお社を設けて切れ所の流れを弱める長い猿尾(さろう)を作ったそうです。
その長さが180m(=百間/一間は約1.8m)あった事から百聞猿尾(ひゃっけんさろう)と呼ばれ、山のように突き出た猿尾の川下で大きな渦を巻いていた事からこの地を大巻山と呼ぶようになったそうです。
旭雅楽会
旭雅楽会(あさひががくかい)についての募集要項を頂きましたのでお知らせいたします。
下記参照URLにて旭雅楽会のページを記載しております。
参照URL
・HP:尾張猿田彦神社
・HP:旭雅楽会
・Wikipedia:尾張猿田彦神社
・Instagram:@owari_sarutahiko
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